星が厳しく冴えた夜空を見上げていますと、冬の訪れを感じます。酒蔵では本格的な仕込みの時季を迎えます。米の収穫後すぐ仕込まれて、秋のうちに出荷されるのが「新酒」で、「清酒」の生産は「寒造り」という冬場の仕込みが主力です。江戸時代から品質の高い清酒の醸造は「寒造り」が最高とされてきました。皆様ご承知のように「新酒」は秋の季語で、「寒造り」は冬の季語なのです。

湯けぶりのなかのゆききや寒づくり 釣児

 汗まみれで蒸した米と麹を混ぜる仕事は、気を抜くことができません。酒造りと縁深く生きてきた私は、極寒の時季が好きで、酒蔵の活気が伝わってきます。
 私の家は元禄年間に酒造りを始めて三百有余年、初代庄左衛門から連綿と伝統を受け継いできました。また山下家は、平戸街道筋の江迎本陣として、平戸藩主松浦公の宿泊所に当てられていました(県指定史跡「江迎本陣跡」)。
 「酉卯(もと)蔵」は創業当初のものと言い伝えられています。1〜2階の中央を貫く大きな柱(約7m)は、手斧(ちょうな)仕上げになっていて、釘を全く使わない組込式の蔵です。これにすべての梁桁を架けて屋根を支える構造になっています。柱が少ないのは、作業をたやすくするための工夫だそうです。この蔵も長崎県有形文化財に指定されています。

 酉卯蔵の「酉卯」の字は、「さけのもと」と解釈します。清酒の発酵の元となる発酵菌のことをいいます。ですから酉卯蔵とは、酒母を醸す蔵のことです。この酉卯は米麹水と酵母を混入し、約20日で造られる清酒仕込みの工程の最初の、そして最大の難しい仕事です。いかに上手に仕込み、造り上げるかで、その年の酒造りの70%は成功したといわれるほどです。
 そのため、酒仕込みの責任者杜氏(とうじ)をはじめ、蔵従事者全員が極寒の昼夜を分かたず、細心の注意を払って酉卯の温度管理を行い、酒を造るのではなく、酒を育てるという心で醸し、仕上げるのです。丹精をこめて育てた酉卯(酵母)は、言うに言われぬ馥郁とした香気を放ちます。正に酒を沸かさせ生み出す母の姿です。
 酒の風味を評して「五味」といいますが、五味というのは甘・酸・辛・苦・渋のことです。これがよく調和して「酷」(こく)が生まれます。これも酒母の育ちに左右されます。
 このように酒母を育てることは、今も昔も少しも変わりありません。科学万能の現代と違って、先人たちは苦労を重ねて酒母を育てたのです。
 それは、先ず酒を造る蔵の設計の発想から考えて、第一に湿度の少ない所であること。第二に通風がよくて乾燥する所であること。この二つの条件を考え合わせれば、高い場所がよいということになります。先人たちは高い場所、すなわち、二階蔵を造り酒母を造ることが理想的であり、これが香りの良いうまい酒が出来る最大の要因であると考えたのです。
 この酉卯蔵が出来上がった元禄の昔は、体験と勘を働かせて酒造りを行い、良酒と悪酒を体験した結果、二階蔵での酒母造りを考えつき、この酉卯蔵を造ったものと思います。
 時は流れ現代の酒母造りは、二階蔵でなくても、すべて科学技術の力によって造れる時代になりましたが、私は苦心して良酒を追い求めた先人たちの英知に崇敬の念を抱く昨今です。

 酒の歴史は古く、人類の起源とともにあったと言われています。『日本書紀』に酒についての記述があり、酒の神様「少彦名神」(スクナヒコナノカミ)をお祭りする神社もあり、また、宮崎県の高千穂夜神楽の中には新穀感謝を祝うために、男女の神が新穀で酒を造る「酒こしの舞」といわれるお神楽もあります。
 酒は奈良朝までは主に朝廷で造られ、平安朝には寺院へ、そして次第に民間へと広がりました。
 古代以来の濁酒が現代のような清酒に近い酒になったのは室町時代末期といわれています。酒が何時でも自由に飲める現代人と違って、古代では神事として造られましたから、酒を飲むということは古代人には生活上の重要な意味があったのです。
 酒が「百薬の長」といわれるのは、労働の疲れをやわらげ、人間関係をより親密にする作用があるからです。集団の酒盛りが好まれ、やれ宴会だ、やれ花見だといわれるのもこうした理由によるものでしょう。

 「酒は生き物」といいますが、手塩に掛けて育てると、育てただけの結果が出るものです。私たちはふるさとの米、ふるさとの水で仕込んだ酒が、全国大会で金賞を受賞した経験があります。従業員が精進し、一丸となって育てた努力が報いられたのだと思っています。
 酒造りにも、時代の波は打ち寄せてきます。極寒の朝靄の中、酉卯蔵の窓から流れていた酒造りの酒唄(酉卯唄)は、もう聞くことができません。しかし、皆様方のお陰で、先人の酒造りを偲ぶ酉卯蔵は、文化財として末永く後世に残ることになりました。酉卯蔵に伝わる酒造り三百有余年の伝統を心の支えとして、これからも酒造りに精進する覚悟です。
(北松江迎町 潜龍酒造会長)

風信

先日の寒い日の話題は、白楽天の有名な「林間に酒を煖めて紅葉を燒く」の詩文の話になった。更に話は此の詩文を引用して綴られている「平家物語巻七」の風雅な話になった。
12月の事を臘月と言うが、其の意味は何でしょうかと言う電話があった。中国の古書に「臘は冬至後、3ツめの戌の日に先祖を祭る日を言う」とあり、その日は12月中にくるので、12月を臘月と言うのであると記してある。又は臘は獵と同じとも記してあった。
国土交通省長崎工事事務所より案内をうけ現地に行き、長崎日見峠に大正・昭和・平成に造られた三種の隧道の文化的意義と、諫早本明川自然型川つくりの話をきき、一同大いに知識を広くして帰った。
福岡の図書出版のぶ工房が今年始め企画し、出版してこられた小倉より長崎までの「長崎街道」の第3編として長崎県下の彼杵より長崎までの街道図録を出版された。同書の内、長崎代官支配地の日見の宿・日見峠・長崎の街については越中理事長が執筆されている。(本体 2,380円)
今まで良く知られていなかった「郷土出身の偉人梅屋庄吉伝」が読売新聞西部本社より出版されていて、長崎人活躍の新しい一面を知った。(2,000円)
本会事務所は12月28日(土)より平成15年1月5日(日)まで閉所させて戴きます。新年は1月6日(月)より、毎週月・水・金(午前10:00〜午後3:00)のみ開所いたします。