現在、中国の北京大学大学院比較文学比較文化研究所で日中間の比較文化研究を行っている私は、今回調査 活動を兼ねて先日、長崎を訪れた。これまでにも数回この街を訪れたが、長崎はかつての国際的多元文化都市 であり、今なお国際色豊かな文化の息づくこの街に私は大変な魅力を感じている。
 
 たとえば、“ランタンフェスティバル”や“新地中華街”の街並み等、いわゆる我々の期待通りの凝縮された“中華の世界”がそこには展開されており、旅人を異文化空間へと誘ってくれる。

 しかし、この種の“期待”は、考えようによっては、私たち旅人のエゴかも知れないと思った。なぜなら、既成のイメージの一方的な押し付けにつながりかねないからである。一方、長崎では中国と縁の深い行事が長きにわたって受け継がれてきた事実があり、それらは私たちに長崎の文化について、ある特定のイメージを抱かせるのに十分なものがある。

 今回は長崎と同様、多元文化が共存する、中国の文化とイメージの問題について中国映画などを例に引いて 少し考えてみたいと小論をお送りすることにした。

 約8年前、私が初めて中国を訪れたのは1990年代半ばであり、古き建造物は壊され、外国資本の波が押し寄せ、急速に変化しつつある街並みの中で、私はある種、“無国籍地帯”に足を踏み入れた感があった。そもそも、広大な土地に約50数民族が暮らす中国では、もとよりその“全体像”は捉えにくかった。

 ところが、今回再び中国に留学する機会を得、昨年7年振りに北京を訪れてまず目に飛び込んできたのが、“唐装”(ta ´ngzhua? ng)ファッションと呼ばれる、中国的な服装や小物を身にまとった若い女性が携帯電話を 片手に街を闊歩する姿であった。彼女らは過去に一般的に着用されていた伝統的衣裳に新たなセンスを見出し、それを自己流にアレンジしながら思い思いのおしゃれを楽しんでいるのである。非常に面白い現象であった。

 街は以前にもまして開発の只中にあるものの、改革開放から20余年、北京五輪を5年後に控え、IT産業が盛んな現在、中国の人々はまさにワールドワイドな視野を獲得し、外から内を客観視出来るようになりつつある。そして同時に自ら“中国像(中国のイメージ)”を模索しはじめているようにも感じられた。

 その好例として中国映画を挙げたい。“今中国映画(中国語圏映画)が熱い”ということに対して異論を唱えるものはないだろう。例えば、2001年度、台湾のアン・リー(李安)監督の武侠映画『グリーンデスティニ ー』(『虎藏』)のアメリカでの大成功は記憶に新しいところである。また、今年最も話題となっている中国映画の一つに『HERO』(『英雄』)がある。

 私も日本公開に先立って、2003年1月、留学先の北京でこの作品を観た。監督は『紅いコーリャン』(『紅高 粱』)『初恋のきた道』(『我的父親母親』)などの作品で日本でもその名を知られる巨匠、チャン・イーモゥ (張芸謀)である。当作品は、チャン監督の初の本格アクション映画であり、主演は近年ハリウッドでも活躍 する中国出身のアクションスター、ジェット・リー(李連傑)である。当作品は第75回アカデミー賞で外国語 映画賞にノミネートされ、第53回ベルリン国際映画祭では特別賞に輝いている。

 ところで、これら2作品は共に武打片(wudapianカンフー映画)と呼ばれる中国映画独自のジャンルに属する。こうした武打片の世界市場での成功は、中国映画が単なるハリウッド映画への追随ではなく、あくまで中国らしさを前面に打ち出し、それをアピールする時代に突入しつつあることを物語っていると言える。

 そしてこの2作品に共通する特徴として、中国大陸、香港あるいは台湾の垣根を越えた俳優のキャスティングが挙げられる。また、『英雄』の衣裳デザインとして日本人デザイナー、ワダエミ氏が起用されている点も 注目に値するだろう。近年、わが国でもにわかに“アジア”がブームになっているが、劇中にはまさに“凝縮 されたアジア”が展開されている。いうなれば、一つのCHINA、一つのASIAといったところだろうか。 全寮制生活が一般的である中国の大学生にとって、映画はいまなお格好の娯楽であり、大学の講堂が週に 何度か映画鑑賞施設と化すことは中国では日常的な光景である。北京大学でも連日のように内外の映画が上 映されている。

 まさに、現在の中国では映画こそが外部世界のイメージを受信し、また逆に自国のイメージを発信する“空間”であると言えるのではないだろうか。そして、外部世界から見た中国、あるいはアジアに対するイメージと、外部世界に向かって放たれた中国像あるいはアジア像(イメージ)の交差線上に、映画『英雄』の成功の一つの要因が見出せるかもしれない。
(少し余談になるが、学術面に目をむければ、中国においては日本ではまだあまり盛んとは言い難い映画研究が盛んである。北京大学でも映画研究に関する講義が開講されており、毎回廊下に長蛇の列が出来るほどの盛況ぶりである。)

 北京五輪を数年後に控え、中国は今後世界に向けてどのように自国の文化をアピールしてゆくのだろうか。 北京の地より今後の動向を見守りたい。
 
 最後に、私たちは日ごろテレビや映画、あるいはその他のメディア、または中華街やハウステンボスなどの異文化施設、異文化空間を通じて、ある特定の国や民族の文化等に対するイメージを受け取ることが多い。

 イメージとは、往々にして実像をそのまま映し出す鏡ではないし、これの是非を明らかにすることは難しい。
 私は今回長崎を訪れ、かつて東アジアで最も早期に形成された多元文化都市の片鱗を街のいたるところで目にした。また、各文化の衝突と融合の末、形成された長崎文化であるが、その中で各外来文化の色彩は完全に失われてはいないと感じた。
 そしてそれどころか、その個性を力強く訴えかけてくるようであり、それぞれの外来文化に対するイメージを一層強くしている。私は今更ながら長崎文化の奥行きと懐の深さに魅せられた。 (北京大学大学院博士課程在学)

風信

長崎の人達は昔から「くんちが・すんだら、もう・この1年が終ったごたるね」と言う。其の「長崎くんち」も大浦・矢上・式見等の各くんちも無事終了したようである。
私達、歴史文化協会の事務所がある桶屋町が今年は7年に1度くる「年番町」に当っていたので、事務所を 代表して田村・川崎・蒲池の各氏と私、白足袋紋付袴に山高帽で、又町内のお加勢には本村さんに参加して戴いた。参会者一同、感激一入であった。
先月25日は長崎で初めてシルクロードの研究発表会があった。それは大谷探検隊100周年を記念して「みろく屋」と本会が共催したもので、講師は女性初の参加者、龍谷大学の高林由美子女史であった。参考資料として佐藤建氏著の「阿弥陀が来た道」(毎日新聞社刊・1,524円)を持参、寄贈された。
10月28日は長崎日本ポルトガル協会主催(本会後援)恒例の研修会を今回は天草にポルトガル・キリシタン遺跡を見学に行くことにした。ポルトガル人が「袋の港」とよんだ富岡を出発、パーデルさんの大江の教会、キリシタン版を発刊した河内浦教会跡(資料館)、本渡郷 土博物館を見学、昼食は河内浦で天草海の幸を用意下さるとの事。(参加希望者は申し込み順定員まで)
阪田朗子女子より旧長中・商業・海星で教鞭をとられた「無私無欲愛国の士」と称された大塚運象師の伝記を戴いた。(玉名史を彩る人々。熊本日日新聞刊・森高清著)
明坂英二氏より「ガリヴァーがやってきた小さな島」を戴いた。小さな島は出島の事、「ガリヴァー旅行記」に出島がでてくるのである。(福音館書店刊・たくさんのふしぎ・700円)
NHKに長崎放送局創立70年記念として「原爆の絵」を贈られた。原爆を知る私にとっては、何とも言えぬ悲しい記録集でした。表紙絵を描かれている中山文孝先生には 色々の事を教えて戴きました。