私達がよく知っている箸の物語りとして一番古い話は、「古事記」の神話にありますね。それには次のように書いてあります。
昔、スサノオの命が高天原を追はれ、出雲国の川上の地におり給ふ。この時、上流より箸流れきたる。時に命。此の川の上流に人ありと思ひ給ふ……
神代時代の箸は竹を細く削り、ピンセットのように折り曲げた箸だったそうです。現在でも、此のような箸を神様にお供え物をする時には使われているそうです。
人間にとって食事をとる事は一番大事なことで、その時に箸をつかいますね。私が箸に興味を持つようになったのは、先ず第一に食べる事が大好きだったと言うことです。おいしい物を食べたい。其の料理を綺麗に食べたい。それには箸の使い方が一番大事と思いついたのです。
私の料理研究家の先生が、「食事の作法は箸に始まり箸に終わり。日本人の一生は箸に始まり箸に終わる」と教えられたことが今更ながら思いおこされます。
地球の人々の食事には手食、箸食、ナイフの3 種があります。勿論、原始の時代には全てが手食であったはずです。日本人にも其の名残として寿司、おにぎりなどは手で食べますね。
3 つの食事法が分かれた大きな理由は、食材料と其の料理法の違いが考えられます。食材としては根菜物・果実食・固体物(イモ類)。米食圏。小麦食圏(パン・麺類)と大別できるようです。そして其の割合は40%、30%、30%となるそうです。つまり食物によって其の食法が変わると考えてよいようです。
さて、私が長崎で箸専門の店を誕生させたのは、次の3 つの理由からだったのです。
第1 の理由は、長崎県は魚類が豊富であると言う事。その魚類を上手につかって世界で一番美しい料理と評価されている日本料理がつくられ、その料理を食べる時に使用される箸、そこに箸の功績があるのです。箸の基本機能は、挟む・掴む・支える・運ぶ事なのです。美しく完成した日本料理を、箸でとり(挟み)容易に口に入れる事ができる食べやすさがあります。
そして、箸の機能には切る・裂く・解す・剥がす・掬う・包む・載せる・押さえる・分けるがあります。この前段と後段の作用が食事をする時に、あらためて箸を使って食べやすく且つ日本人の繊細な美意識にもつながり、日本人と箸という特殊なつながりがあるのではないかと考えているのです。
第2 は、長崎は国際色の豊かな処という事です。長崎には開港以来、諸外国の人達が大勢来航し居住されていました。その長崎の人達が自国の持つ箸の文化をなおざりにしては国際色豊かとは片手落ちではないでしょうか。箸さばきと食事作法を習得できずして国際色云々はどうでありましょうか。自国の文化を示す事ができてこそ国際人の仲間入りができるのでありましよう。
第3 は、長崎は原爆の被爆地であるという事。長崎は原爆による多数の犠牲者の上に生かされていますね。私はその長崎から、我が国が他国に誇ることのできる、命の杖、箸の文化を長崎の特色ある料理、例えばシッポク料理などを通じて発信したいと心より思っています。
昨今、私達はテレビなどで日本人が箸を上手に持つことのできない人を良く見かけますね。大変見苦しく、又きたなく見えて仕方ありません。其の理由の一つに魚ばなれの食事が大きく影響していると思うのです。
ここ数年来、外食産業のファースト・フードにより手づかみで食べることに慣れてしまい本来の日本人の食生活がくずれてきたように思います。
この事は家庭内の食生活にも及び、いまや食を摂るのではなく、飼を喰うと言った感じさえ致します。古来・日本人は勤と倹により国を支え、そして代々子孫を育てゝきた国なのです。ところが現在は国を支えるという人達が少なく、継承者の不足により貴重な人財を一ツ一ツ失っている状態ですね。
人財の人がなくなれば国は亡びます。まさしく日本の文化は亡びつつあるのではないでしょうか。
時には文化が独りあるきしている節も感じられます。一体、文化とは私達の毎日の生活の中に生まれるのだと思っています。
指先の民族である日本人が多年築きあげてきた文化。毎日の生活の中で培われてきた文化、それは私達一人ひとりの中に生きています。少しだけ其の意識を持つと其れは大きな知識に拡がると思います。
長崎の為に何をするか、何ができるか。私にできる事は毎日三度みなさんが使われる生命の杖「箸の文化」からと考えました。「たかが箸、されど箸」と私は考えています。
ひとつの道具(箸)で以上のような考えを持たせるものは他に無いと思っています。そしてこの箸の働きを生かす為には、まず箸を正しく持つことが第一と思います。
最後に天皇・皇后両陛下がお使いになる箸の話を致しましょう。それは先細上太の丸箸で長さ21p、直径約5 oで福島県相馬産の柳を材料とし、奈良で原形を、仕上げは輪島市の職人がなさるのだそうです。そして、その製作の時には白装束の職人さんが製作し、東京箸の勝本より納入されると記してありました。
※参考資料@箸の本(本田総一郎著) A箸の文化史(一色八郎著)
(長崎中通り・蝶々さん店長)
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