平戸中部の根獅子町、ご存知でしょうか。西は玄海灘に面し1 キロに及ぶ砂浜と松林が続き、全国名水55選に選ばれ夏は海水浴場としても多くの人達が集まって来られます。
 近年、私の町が有名になったのは、一つには昭和25年京都大学より弥生時代遺跡として発掘調査が行われ、貝の腕輪、土器などの多数の出土品の中に、頭部に矢じりのささった女性の人骨を含め 弥生の人骨が発掘されたことです。
 二つには此の地が昔かくれキリシタンの里であり、マリヤ観音や、オテンペンシャなどが町の旧家から多く発見され、つい近年までかくれキリシタンの行事が此の町には残っていたということです。
 そう言えば、私が通っていた小学校の運動場の一画に「オロク人様」という小さな森があって、その森の中に石の祠があり、ここを放課後、当番の生徒が竹箒で掃除するのですが、森の入口から冬でも裸足になって森の中に入り掃き清めていました。
 この森は昼間でも、ほの暗く不気味な処でしたが、何か私達には親しみを感じる場所でした。「オロク人様」という言葉は、何か「えらい六人の人達」という意味だと親達から聞かされていました。いま、考えてみますと此の村がキリシタンであった時代、突然幕府の命令でキリシタンの禁教にあい殉教した六人の人達をひそかに祀っていた場所だったのですね。
 また、根獅子の遠浅で美しい白浜の海岸に大きな岩があり、子供の頃は「此の岩に上る事はできないよ。もし上ったらタタリがあるよ」と言われていたのです。此処も多分殉教者の聖地だったのでしょう。現在でも地元の人は決して此の岩には上らないのですが、海水浴に来る人達はよく此の岩の上に乗って遊んでおられます。

 そう言うわけで私の家も昔は「かくれキリシタン」の習俗を伝えていたのです。母親から昭和36 年、私が生れたときカクレの水を受けたと聞いていたので、私は以来、根獅子の地に350年もの長い間、生き続けてきた「かくれキリシタン」の信仰に深い興味を持つようになったのです。
 私は先づ母に「私の洗礼名は何と言ったのですか」ときくと、母は「覚えてないよ」と答えるのです。そして「おまえの羽子祝いをする時に名付けをせねばならぬ習慣が村にはあった」のだと母は言う。(これが現存の洗礼式だったのです)母のカクレに対する理解の程度はそれくらいだったのですが、先祖から伝えてきた行事は其の意味がどうであろうと、村の人達にとっては大事に伝えて行く事が大切だったのですね。

 そんな根獅子の環境の中で深く私の記憶に残っている事を次に書いてみましょう。
 其の第一は、正月の三が日、家の中で遊んでいる私達子供達に母が「神様がきなるよ」の一言で 寒い冬の日であるのに家から外に出されるのです。
 私は好奇心から、そっと家の中を覗いてみたのです。すると、その神様は普段の着物とは違った着物をきた近所の小父さんが「神様」となって前屈みに懐手をして座り、何やら口の中でムニャ・ ムニャと唱えている様に見えていたのですが、突然、その神様が大きな声で何か私の父母と世間話をするのです。すると、又人目を憚るような動作でイズッポ(棒の事)で水瓶に入った水を両親に振りかけるのです。
 そして其の動作の繰り返しが、何も知らない私達子供達にとっては、何とも知れない不思議な光景に見えたのです。
 此の行事は、カクレの行事が他の人達に知られないようにカモフラージュして行ったものである事を私が知ったのは、ずっと後の事でした。
 この正月の行事は「かくれキリシタン」の「水の役」(神様)による正月の家祓の行事で、父母と神様の突然の世間話は、他の人に気付かれぬ配慮だったそうです。更に根獅子ではオラショは決して声に出して唱えないそうです。声に出すと御利益が薄れ祟りが有るからだそうです。
 祖母の死の時、私は佛壇の前に寝かされた祖母の胸元に枷繰(広げると十字架の形となる)が置かれ、水役による枕経(オラショ)出棺後の経消しと家祓がありました。これらは350年の間、私の根獅子に大切に継承されていたのです。私達の先祖が命がけで守り通してきたのです。最後にオラショについて今でも目に浮かぶ光景を思いだします。それは小学生の頃、根獅子のカクレの行事を研究することになり、私達は村の最高責任者辻元様宅にお伺いしました。
 その時、色んな事を質問したようでしたが、今は全く覚えていませんが最後辻元様が同じ根獅子の子供達だから「人には聞かせてはいけないオラッショの一節だけ唱えてみせましょう」と言って 下さったのです。
 其の時でした。それまで辻元様の横に座って、にこやかに私達の話を聞いておられた奥様が、辻元様の其の言葉をきかれて、今にも泣きださんばかりに、それだけは絶対に止めて下さいと辻元様に哀願されたではありませんか。此の時、私達も奥様の言葉にうたれて何か心にジーンとしてしまったのです。
 オラショを根獅子では人に聞かせる事で神様のお怒りを蒙り、そして其の祟りと罸があると伝えられていたので奥様はそれをおそれて、かたくな迄の反対をなされたのではないでしょうか。

 最近、この根獅子の組織は後継者不足で解散されたそうですが、正月の八幡様、そして「オロク人様」のお参りと、心のどこかで根獅子の人達は350年の伝統を今なお持ちつづけておられるように私は感じているのです。(長崎純心大学・古文書の会会員)
平戸の風景(写真提供:平戸観光協会 様 http://www.hirado-net.com/