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6月は行事が多く企画されているので私に「取りまぎれ事が、ないように」と事務局担当の本村女史は心配される。
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たしかに6月の行事は多い。先ず銅座町の小屋入り参加に始まり、事務局のある桶屋町の年番町。
毎週月曜午前は長崎学講義、毎週火曜午前は古文書学。5日は国土交通省と市内道路見学会と加古川市立中学生の来訪。7日午後キリシタン文化研究会。8日なかにし礼先生文学碑除幕式。13日片淵中落成記念講演会などなどと後半に続いている。
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片桐一男先生の論考をみていたら、上野彦馬が1862年(文久2)秋頃、中島川畔に職業写真家として上野撮影局を開始した事より以前、1861年(文久元)すでに江戸両国薬研堀に「影真堂」鵜飼玉川が開業したと報告されていた。(洋学史研究第20号)
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好酒家に朗報をきいた。友人が高野山土産にと持参した銘酒の説明書に「昔、弘法大師が、寒冷を凌ぐに塩酒(おんじゅ)一盃これを許」と言われ記してあった。「但し、一盃だけですぞ」と友は言う。「これこそ、般若湯の始めであろうか。般若の原語はpannaとあり、「悟りを得る真実の智慧の事」とあった。 |
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九州歴史博物館より「東洋における民族スポーツ特集号」を寄贈いただいた。ペーロン、蒙古相撲、鶏闘などなどがあり、中でも私はパリー島のサボテンを手に持って争うイカレカレの記録は興味を持って読ませて戴いた。(九州国立博物館建設準備会機関紙74号) |
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上記本村忠行氏の論考はホームページhttp://www5a.biglobe.ne.jp/ .nsanpo/
に掲載中。また、活字本で「かつてに末次興善伝」あり。(〒850-0845 長崎市上小島町4-1-34)まで連絡下さいとの事。 |