長崎の町で、これほど観光のことを取りあげて論じられたことはない。そして又、近ごろの長崎の町は何か騒然とした事が多い。そして遂に先月は集団食中毒を起してしまった。そして関係者の人達は口をそろえて「観光長崎のイメージダウンは避けられない」と言っている。そこで私は先年来、長崎の新しい「街づくり」を提案されている緒方源信先生をお訪ねし、次のようなご論考をいたゞいてきた。(越中 哲也)

〈はじめに〉
 日本には、古来の伝統文化、インドや中国などから伝来した文化等により、一つの東洋文化が形成 されており、一方、科学技術を基礎とした欧米の文明文化も存在している。海では異なる潮が出会う 潮目が好漁場となるように、最高の文化や文明が遭遇するところでは、かならず、素晴らしい創造物 の誕生が期待される。長崎の町は、江戸時代から、その異なる文明と文化の接点として大事な役割を 果たしてきた。
 その長崎を豊かにする産業には、漁業に代表される第1次産業、造船業に象徴される第2次産業、そ して観光を中心とする第3次産業がある。現在は、さらに産業振興を図るために、それぞれの分野にお いて官産民が一致協力して、企業誘致などの推進活動がなされている。
 ここでは、一市民が個人としても比較的取り組み易い観光について考えてみた。
1.[長崎の観光資源]
長崎の地名は古くから有名で広く世間に知られており、その理由は長崎が多種の文化に恵まれてい ることがあげられる。その文化は次の四つに大きく区分できる。
(1)中心となるのは歴史文化である。
長崎の歴史は、1571年の開港以来海外との窓口として重要な役割を果してきたことに始まる。便宜 上、次のように分けることができよう。
長崎開港前。開港から鎖国の出島時代。明治維新以後の居留地時代。明治/大正時代/戦前の昭和 時代。原爆と戦後復興、経済発展の時代から今日まで。
これらの時代については、それぞれ豊富な歴史文化の蓄積があり、その発掘作業が丹念に行われ、 多くの専門家の手によって調査研究がなされており、その成果は様々な施設に大切に保管されている。 これら実物の資料は真実を伝える貴重な財産であり、これらに裏づけられた質の高い歴史資料は立派 な観光資源となる。これらを、うまく観光事業と結びつけることによって、長崎の観光産業を一段と 盛んなものにすることが可能と思われる。
(2)次は、活発な(海外)交流文化である。
歴史上の相手国としては、中国・東南アジア諸国・韓国(朝鮮)・ポルトガル・オランダ・イギリ ス・ロシア・アメリカ・フランス等がある。現在はさらに多くの国々との交流がある。これらの国々 との関係については、その歴史を含めて多くの研究結果があるので、先の歴史文化と一体となって、 今後も調査研究の成果が蓄積され、重要な観光資源としての活用が期待される。
(3)さらに、大事な充実した生活文化が長崎にはある。住民のための医・食・衣・住については、完全ではないが、かなり行き届いている。また、年中行事としては、初詣、長崎燈会、節句、はた揚げ、盆の精霊流し、長崎くんち、クリスマス、除夜の鐘、 等々、まことに豊富である。
また、長崎は三方を山に囲まれ、独特の地形に馴染んだ生活が営まれている。そして、素晴らしい景色を提供しており、坂の長崎は歌や映画の世界でも申し分ない。しかし、毎日の生活では利便性の点からは問題もある。特に高台に住む高齢者にとり、生活用品の確保について、必ずしも恵まれたものではなく、改善の余地が大いにある。
(4)最後に、忘れてならないのが、豊かな食物文化である。
長崎は海と野と山の産物に恵まれている。まず、海は魚介類の種類が豊富で、また、養殖や増殖にも適した環境があり、さらに野山の食材にも恵まれており、海の幸・山の幸に取り囲まれているといえる。したがって、季節毎に様々な料理を楽しむことができる。
また、長崎には、すでに全国に知れ渡っている料理や産物が豊富にある。例えば、卓袱料理、ちゃ んぽん、皿うどん、豚の角煮、中華料理、びわ、みかん、ジャガイモ、うどん、素麺、生け簀料理、 蒲鉾、からすみ、あご、するめ、カステラ、ざぼん漬け、びわゼリー、寒菊などはほんの一例に過ぎ ず、数え上げると限りがない。また、季節毎の食材も豊かで、たとえば、毎月の旬(しゅん)の魚が定められている。長崎魚市場 協会のカレンダーによると、県魚と旬の魚が次のように示されている。一月の県魚は「ぶり」、旬の 魚はレンコダイ、ブリ、トラフグ、アラカブ、カキとなっている。因みに、県魚としては、二月いわ し、三月たい、四月あまだい、五月いか、六月いさき、七月あじ、八月あわび、九月あご、十月さば、 十一月ひらめ、十二月ふぐ、などとなっている。他の地方や県に比べてみても、まことに豊富な海の 幸というべきである。
そこで、修学旅行で長崎にまで足を延ばして来られた修学旅行の生徒に対しては、歓迎の意を表して、季節に応じて、旬の食材を使った料理を一品添え、板前さんがその説明をする。そして、将来その生徒が、新婚旅行、家族旅行、職場旅行、退職旅行などの折りに、長崎を思い出して頂ければ、長崎の観光振興に大いに役立つというものであろう。
2.[長崎の観光の目玉]
独特の観光案内を実現するには、これらの恵まれた観光資源を活用して、たとえば、自分で郷土の歴史・交流・生活・食物の各文化を学習し、その成果を発表する方法がある。それによって、今は主流になっている従来型の画一的な観光案内とは異なり、一味違った個性豊かな長崎独特の観光、つまり、顔が見える観光案内が実現することになる。
〈おわりに〉
長崎では、街並がいつも綺麗で、人々は思いやりの心に満ち溢れていて、見知らぬ人にも親切で、温かな雰囲気に包まれていれば、観光地としての準備はでき上がっている。
そこで、市民参加型の観光を進める第一歩として歩道の雑草を市民が積極的に取り除くことから始めては、如何であろうか。

風信

西山の崇福寺末庵祇樹林(現在廃寺)内に「芭蕉翁の歳旦塚あり」と長崎名勝図絵に記してある。 そして、其の句は「長崎の歳旦もらう年の暮」とある。筆者は程赤城である。歳旦とは元日のことである。新年の祝として長崎より何か珍しいものが送ってきたのであろう。
去1 1 月8日、長崎県民文化祭の1つに第5回全国ぶらぶら節大会があった。出演者120人、平川・本多他諸幹事のお世話で全国に「長崎ぶらぶら節」を大いに宣伝して戴いた。
長崎史談会会長の宮川雅一先生が前号に引き続き「長崎散策 その2」を出版、斎藤茂吉の長崎時代の歌と其の事跡を多く集録出版されている。(出島屋プロダクション刊)
佐世保史談会より郷土誌「湊林」44号を御恵送いたゞいた。内容実に充実していた。
長崎歴史文化協会は年末は12月26日(金)閉所。平成16年は1月5日(月)より開きます。