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平成十六年・最後の風信の文を書く。昭和五十七年八月「ながさきの空」第一号を発刊して以来、本号で二六九号となった。良くも、此こまで続けさせて戴いたと感無量です。 |
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然し何といっても新潟中越地震の悲報、いまも続いていて毎日毎日が何かさびしい。 |
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本年度、本会の行事で第一の思い出は、我が国道徳の源とされる孔孟の遺跡を訪ねて曲埠・泰山方面を旅する事ができたことであった。この全行程を原田正美会長が「ビデオにおさめているので折りをみて皆様にお見せ致します」と言われた。 |
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次に、今まで色あせて暗い感じがしていた馬町諏訪神社下の地下道に野田照雄さんが描かれた色彩ゆたかな「長崎くんちの傘鉾」の図が掲げられ、其の数が増すごとに、暗い地下道が次第に明るくなってきたのは何となく愉ばしかった。 |
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十一月二十八日第六回全国ぶらぶら節大会が長崎県民謡協会主催で開催された。毎回の事ながら平川淨委員、本田由明委員を中心に各お世話役は大変であった由、今年も愛知、大阪、熊本方面からも出演者が多く盛会だった。第一席は熊本県の高見春代さん、第二席は堺市の元井美絵さん、第三席は北九州の鈴木恵子さんでした。 |
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長崎大学姫野順一教授より我が国写真術の祖上野彦馬没百年になるので十二月十八日午前十時より墓参り、午後二時より長大総合研究棟二階ホールで「写真の源流」と題し記念シンポジウムが開催され、東京より上野一郎先生も来崎された。 |
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十一月正倉院事務局より第五十六回「正倉院展図録」を御送付いたゞいた。今回の出品数七十五件、うち初出陳十二件で、今年の特徴は聖武天皇、光明皇后の遺愛品に加え伎楽面、楽器、身を飾られた佩身具、佛具の類であった。 |
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今年最後の行事として、除夜の鐘をつき新年三社参りに行きます。十二月三十一日夜十一時三〇分光源寺(伊良林)に集合。鐘をつき、伊勢・松森・諏訪三社の参拝。(川崎道利幹事が先達します。) |
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本会の年末は十二月二十九日(水)午後三時閉所。新年は一月五日(水)午前九時三〇分開所いたします。 |