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第一は、寛政年間(一七九〇|)足かけ六年長崎に来遊していた京都の医学者で博物学者広川 の著書「長崎見聞録」に烏骨鶏のことにつき次のように記している。
長崎に烏骨鶏(うこっけい)を嗜(たしなみ)飼ふ人多きなり。全白毛にて或は黒班あり。冠足みな微黒を帯たり。此卵補虚の佳品にて、其価も常卵に倍する事なり。 |
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第二は南蛮料理の事を記した「料理物語」(一六四三年刊)にでてくる鶏料理がある。
鶏の毛を引き、頭と足としりを切り洗い鍋に入れ、大根を入れ、水ひたひたに……(この料理が後世「鶏の水たき」となる) |
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三は、司馬江漢の西遊日記(一七八八年)に記してある鶏料理がある。
長崎に鶏肉を喰ふ……江戸の鶏肉・皮いたりてこはし、骨いたりてかたし。肉も筋多くして剛し。ここのもの魚の煮たる如く箸にて肉骨と良く離る、肉いたってやわらかなり。…… |
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第四には江戸の蘭学者大槻玄沢の「紅毛雑話」や「長崎名勝図絵」に記してある「出島オランダ正月」の時、用意された鶏料理を拾うことにした。 |
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大蓋物(味噌汁)鶏かまぼこ、玉子、椎茸。・コテレット鶏、胡椒、肉豆冦の花、ねぎ。・ラーグー鶏たゝき丸めて、椎たけ、ねぎ、すましあんばい。
(長崎歴史文化協会理事長) |